実際の開花は来月(10月)なのでしょうが、太陰暦の関係もあり、菊は古くは9月の花とされてきました。そのことは花札にも表れています。

なので今回は菊についてのあれこれを・・・
▼ 古来、「菊は花の弟(おとと)」と言われてきました。多くの花に遅れて咲くことからです。対になることばとして「梅は花の兄」があります。
兄弟があれば親が・・・。花の父母は、雨や露のこと。ただし、上記同様の表現としては「雨は花の父母」となります。
▼ 菊人形の起源は、江戸の染井(東京都豊島区)周辺で流行った菊細工。
染井は、代表的な桜のソメイヨシノを生んだ、植木屋さんが多かった土地。
やがて、複数の菊人形を展示する菊人形展のことも単に菊人形と呼ぶようになります。
よく知られるのが、「団子坂の菊人形」。団子坂は、東京都文京区千駄木から台東区谷中へと下る坂。
「団子坂の菊人形」は明治期の文学作品にもよく出てきます。代表的なのを二つ。
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坂下では菊人形が二、三日前開業したばかりである。坂を曲がる時は幟(のぼり)さえ見えた。今はただ声だけ聞こえる、どんちゃんどんちゃん遠くからはやしている。
(夏目漱石「三四郎」)
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自雷也もがまも枯れたり団子坂
(正岡子規)
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「団子坂の菊人形」は明治末頃には廃れ、東京の菊人形は国技館のそれが人を集めます。
「国技館の菊人形」は江戸川乱歩が「吸血鬼」の中で一場面としています。
現在、菊人形(展)で有名なのは、「二本松の菊人形」(福島県二本松市)、「たけふ菊人形」(福井県越前市)などでしょうか。


▼ 戦前の歌謡曲の中にこんな歌詞があります。
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♪菊は栄える 葵は枯れる♪
(「勘太郎月夜唄」/1943年発売)
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明治維新で、徳川(葵)幕府から天皇(菊)中心の明治政府に政権が移ったことを表しています。
皇室の御紋の菊は16弁。正式名称は「十六葉八重表菊(じゅうろくようやえおもてぎく)」。
菊をあしらった家紋は皇室以外は使えない?
団子坂の菊人形の左?
そうじゃなく、明治期の歌舞伎界の名優3人、九世市川団十郎、五世尾上菊五郎、初世市川左団次のこと。
「菊左団」でも「左団菊」でもなく、「団菊左」の順になったのは、世間が団子坂の菊人形を想起してのことなのかどうか。寡聞にして知りません。
▼ 重陽(ちょうよう)の節句
8日の定期配信号でも触れましたが、「重陽の節句」(9月9日)の別称が「菊の節句」。
時機を逃して役に立たないことを「六日の菖蒲(あやめ)、十日の菊」といいますが、「端午の節句」(5月5日)や「重陽の節句」に間に合わなかった菖蒲や菊から生まれた表現です。
▼ 最後に…。「菊花」という言葉は肛門の隠語としても使われます。江戸時代に上田秋成が書いた「雨月物語」。その中の「菊花の契(きっかのちぎり)」に書かれた義兄弟の二人の侍は衆道(男性の同性愛)関係であったとの有力な説もあります。
〔出典〕
