人格識見(じんかくしきけん)
大辞泉にはこうあります。
「人格」は、独立した個人としてのその人の人間性。その人固有の、人間としてのありかた。
「識見」は、物事を正しく見分ける力。また、優れた意見。見識。
独立した二つの言葉です。
が、かってはまるで四字熟語のように、二つ合わせて用いられた言葉でした。
二つ合わせて、リーダーを選ぶ時にその人物の資質を云々する時に、用いられました。
つまり、リーダーとしてふさわしい人間性(倫理観・真摯さ・責任感・悪を憎む心・私心を殺し公益に尽くす覚悟など)と見識(知識・知性・教養・学力など)を兼ね備えているか?を論じる時に、必ずと言ってよいほどに、用いられました。
この言葉の用例を一つご紹介しますと・・・
『民主政治は、政見が自分になるべく近く、人格識見ともにすぐれた人物を自分の代行者として選び、その人物に政治を託す仕組になっているのである。 (丸谷才一『女ざかり』)

「人格識見」という言葉の意味がよく分かりますネ。
けれども、いつの頃からか、死語になった感があります。
人格も識見もない人間ばかりが政治の表舞台に立つようになったからでしょう。
〔出典〕