Amazonの差出人名で、「アカウントの情報更新が云々」という内容のメールがしつこく送られてきたことがあります。
あの手のメールって本物そっくりですね。いや、本物を見たことがないのに、こんなことを言うのはおかしいのですが・・・。

とにかく、段々不安になってきて、いつものAmazonのサイトにログインして、確かめることにしました。

とにかく、段々不安になってきて、いつものAmazonのサイトにログインして、確かめることにしました。
PCのキーボードを未だに片手打ちする私としては、チャットは大の苦手なのですが、背に腹は代えられません。
結論は、やっぱり偽メールであることが分かり、安心したのですが、お伝えしたいのは、その時のAmazonのサポーターさんのことです。
チャットの日本語が素晴らしいものでした。
とくに感心させられたのは、こちらのお礼に対して、「とんでもないことでございます」と返ってきたことです。
その数日前のこと。
東京のどこかの中高一貫校の校長さんー年齢はたぶん40代でしょう―がTVの報道番組の中で、「とんでもございません」と言ったのを聴いて、思わず「校長がこれじゃ学校の程度も分かる」とつぶやいたことがありました。
だから、なおさらAmazonのサポーターさんに感心した次第です。
「とんでもございません」については、2007年の文化審議会が「敬語の指針」の中で、敬語として問題ないとしました。
「問題ない」というのは「仕方ない」とは言えなくてのことでしょう。
私などはそう考えています。
時代の変遷により、意味や使い方が変わったことばも少なくありません。
しかし私は、ことばに限って言えば、保守・守旧派でいたいと考えています。